ビタミンBの父、高木兼寛氏
2011-08-06 13:32
クリケ歯科クリニック
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さて今回はビタミンBについて。

表題の方をご存知の方は、彼と同郷か、彼の学校を出られたか、健康本を読まれたかではないでしょうか。

この方、現在の東京慈恵会医科大学の創設者です。
僕が知ったのは山田先生のセミナーでした。

彼は宮崎県出身の薩摩藩士、明治初期に海軍で軍医となり英国に留学。
貧しい人達の病気を治す実際的な「病院医学」を学んだ人物です。
ドイツを中心とした「研修室医学」とは基本的に異なっていました。

留学から帰国した高木を待っていたのは、当時「江戸煩い」と称されていた国民的病気、脚気。

明治天皇もこの脚気には悩まされていたようです。

海軍練習船「龍驤(りゅうじょう)」が2ヶ月遅れで10ヶ月の遠洋航海から帰国した際、乗組員376名中169名が脚気になり、うち25名が死亡。

すぐに高木は食事に目をつけ、調査を始めます。炭水化物に偏った食事を改め、麦飯、パン、肉類を取り入れた食事を提案。

翌年に計画されていた練習船「筑波」を改善食の実験に選んだのです。 

「龍驤」と同じ航路を辿らせ、途中ハワイから送られた電報は「病人一人も無し、安心あれ」と書かれていました。

これ以降海軍では脚気が無くなり、後の日清日露での圧勝に繋がったのです。


では陸軍はというと、当時の軍医総監は森林太郎…森鴎外でした。
彼はドイツで医学を勉強、脚気の原因は細菌であると主張し、がんとして高木の食事方法を取り入れませんでした。  

日露戦争時の戦死者47.000人のうち、傷病での死者が37.200人。
このうち脚気による死亡者はなんと7割を越える27.800人となったのです。

一方海軍は、脚気患者ゼロでした。

28年後、東大農学部の鈴木梅太郎が「米ぬか」からオリザリン(ビタミンB1)を抽出し、この欠乏で脚気が起こることを突き止めました。 

ちなみに南極大陸にタカキ岬という岬があるのですが「食の改善によって脚気の予防に始めて成功した人」と説明されているそうです。


『病気をみずして病人をみよ』

彼の残した言葉です。 
僕も肝に銘じて受け止めなくては。


そうそう、彼は武士道にも精通していたようで、

1、自律心
(自分で決めたことは名誉をかけて守る)

2、正直
(嘘は言わない、約束は命を賭けて守る)

3、淡泊
(私に奉ぜず、公に奉ずる)

4、慈悲心
(弱い者いじめをしない。敵に対して情を持つ)  

これらをモットーとしていたそうです。
…出来そうで出来ないことばかりですが、日本人としていつも心がけていられるようでありたいですね。

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